パトリシア・コーンウェルの『私刑』である。1995年。2000年代のパトリシア・コーンウェルを続けて読んできたが、今度は90年代。これが今回読んだ中では一番、初期のやつである。
パトリシア・コーンウェルの肩書きに『90年代のベストセラー作家』というのがあるが、その意味がわかった。この人は昔の方がはるかに出来が良い。欠点は相変わらずで、その部分は晩年と同じなのだが、初期の頃は欠点を補う緊張があった。
近作はその緊張感が保てなくなって、欠点ばかり残ったということなのだな。とはいえ、欠点は相変わらずで、たいしたネタでもないのに話を引っ張って終わらせない。この出来の良い巻も主要犯人は捕まるが、その相方の女性が逃げ延びて、この後の巻にえんえんと出てくる。
出してくるのは作者の自由なので問題はないのだが、書きっぷりを見ているとトマス・ハリスの『レクター博士』レベルの大物猟奇殺人鬼のつもりでいるらしい。しかし、パトリシア・コーンウェルの殺人鬼は実はどれもたいした魅力を持っていない。
むしろ、一巻に一人出してちゃんと逮捕して解決して終わらせていた方が、締まった話になっていただろうと思う。出しても2回までだな。
そのほか、パトリシア・コーンウェルの重大な欠点として、キャラクター描写がへたというのがある。それは晩年になるとさらに目立ってきて、また、それは、出てくる大物猟奇殺人鬼の魅力の乏しさの原因でもある。
まず主人公のスカーペッタ自体があまり魅力的な人間だとは思えないのだが、それを言ったらおしまいなので、見ないふりをするとしても、とくに書けていないのが、重要なレギュラーキャラクターの一人のマリーノ警部だ。
非常識な荒くれ刑事で政治的にも偏見の持ち主で、人種や女性の差別発言を繰り返すが、本当は良いやつ……というはずなのだが、これがうまく書けていないので、単に嫌なやつにしかなっていない。こんな感じの微妙な人間は、サラ・パレツキーなどは書かせると絶妙でうまいのだが、そもそも、パレツキーなら、こういうステレオタイプなキャラクターは出してこないだろう。このへんのさじかげんがパトリシア・コーンウェルは実にへただ。
このマリーノ警部も現実にいて呼吸をして生きている感じが全くしない。『映画や小説によく出てくる本当は良いやつだが態度の悪い強面刑事』を出してみた、という感じしかしない。あきらかに身近にこういう人間がいなくて、映画などで見た人間をもとにキャラクター造形をしていると思われる。
もちろん、それで悪いわけではなく、一流の映画や小説でもみんなやってるとは思うのだが、それらとの違いは、描写力がないためにリアリティを出せていない、ということだろう。
これだけの欠点がありながら、近年はともかく、まだ初期の、この小説はなかなか面白い。90年代にベストセラーを連発したのもわかる。小説があまり上手に書けていない、という欠点を補っていたのはなにかというと、身も蓋もない話だが、単なるグロ趣味だろうと思う。
あの頃はトマス・ハリスなどの猟奇趣味のサイコサスペンスが流行っていたので、そのへんを10倍くらいに薄めて、一般読者でも読みやすくした……、というのがパトリシア・コーンウェルの売れた理由だと思う。
この手は今でも、まだ、いけるんじゃないかな。
内容紹介
凍てつくような冬のニューヨーク。ひらひらと雪の舞うセントラルパークで名もなき女が無惨な死体で発見される。恐怖の殺人鬼ゴールトが遂にその姿を現わす。スカーペッタ、マリーノ警部、ベントン捜査官の必死の追跡が続く。やがて明らかにされるゴールトのおぞましい過去。検屍官シリーズ、戦慄のクライマックス! 世紀のベストセラー「検屍官シリーズ」好評第6弾! (講談社文庫)
内容(「BOOK」データベースより)
【相原真理子】
東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒。レスラー『FBI心理分析官』(早川書房)、カリール『外科医』(平凡社)、コーンウェル『検屍官』『真犯人』『遺留品』(講談社文庫)等、翻訳書多数。
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