酔いどれ探偵 街を行く:カート・キャノンである。
名作中の名作。
出だしの『おれか? おれは、なにもかも、うしなった私立探偵くずれの男だ。うしなうことのできるものは、もう命しか、残っていない』というナレーションは、後世に影響を与えたようで、いろいろなところでこれやこれの変形を目にする。
出だしを読んで、ああ、この言い回しはここから来ていたのかと思った。タクシードライバーの孤独なナレーションなどもこのへんから来ているのではないか。
なかなか古い。1958年だ。これだけ古いと大衆小説は陳腐化が激しいので読むのがきついかと思ったが、そんなことはなく今でも非常におもしろい。時代の違いを感じたのは女性の描写で、すぐにセックスをする。
今のミステリーなら主人公はセックスしそうになってもなかなかしないで、次のエピソードに入る、というのが主流のようだ。価値観が違うのだな。
当時の低俗なパルプ雑誌に掲載された一連の作品のようで、求められているものと構造がわかりやすくて良い。つまり、一作品につき殺人と女がひとつづつ必須要項だったようだ。
『かならず人を一人殺して、色っぽい女を一人出せば、あとはなんでもいい』というような編集部の方針だったのであろう。なにしろ、一本がけっこう短いのですぐに人が死んで、即座に女が出てきてセックスする。ひじょうに忙しい。
さいきんのミステリーは高度なものが求められるので難しいが、これなら俺でも書けそうだな、と思わせるような仕掛けがわかりやすい作品だ。
カート・キャノンはエド・マクベインの別名だが、これがこれだけおもしろいなら『八七分署シリーズ』もおもしろそうだ。古いので手を出さないでいたが。
内容(「BOOK」データベースより)
おれか?おれは何もかもうしなった私立探偵くずれの男だ。うしなうことのできるものは、もう命しか、残っていない―妻と親友の密通を知った私立探偵カート・キャノンは、二人を殴り殺そうとして探偵のライセンスを没収された。だが、絶望し、酒におぼれるキャノンの胸の奥底にはまだ、獲物を追って夜の街を駆ける猟犬の血が流れているのだ!“八七分署シリーズ”のエド・マクベインが別名義で描いた傑作連作短篇集。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
キャノン,カート
“八七分署”シリーズのエド・マクベインの別名義。1926年、ニューヨーク生まれ。1954年に本名エヴァン・ハンター名で発表した『暴力教室』(ハヤカワ文庫NV)が映画化され、大ヒットした。その後、『警官嫌い』(ハヤカワ・ミステリ文庫)から始まる警察小説の金字塔“八七分署”シリーズでさらに名声を高めた。1986年にはアメリカ探偵作家クラブの巨匠賞、1998年には英国推理作家協会のダイヤモンド・ダガー賞を受賞している。2005年7月没
都筑/道夫
1929年生、作家、翻訳家、EQMM初代編集長。2003年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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